先日、母とふたりで飲んだ。
旦那と3人でのお茶、2人で食事、その後のバーでの飲み。全部で6時間は一緒にいたな。ちょっと前まで、こんなに長いこと、母とふたりでいることは本当に苦痛で、この間、少しも険悪な雰囲気にならなかったことは、ホント奇跡。私が大人になったのか?とちょっと思ったりもしたけど、いや、たまたまだな、たまたま(笑)
* * *
戦争について何か覚えているか聞いてみた。長いこと親子やってきて、聞くのは初めてだった。
「うーん、小さかったからねぇ、覚えてないけど、貧乏だったのかなぁという思いはずっとあった」
母は、昭和18年、松山から船で1時間ほどの島の生まれ。すごく小さい島なのかと思ってたら、小学校が2つ、中学校が1つ、高校は、分校がひとつあったそうで、母は、1男6女の末っ子。父は母と結婚するとき、その5人のお姉ちゃんの名前を上から覚えることから始めたらしい・・・。私は今でもソラじゃ言えないが、父が指を折りながら自慢げに暗唱してた図をよく覚えてる。
その7人兄妹、食べるものは下から、そのほかのものは上から、というのを昔聞いたことがあるけど、でも、子供が多かったとはいえ、おじいちゃんは母が通う小学校の校長先生だったから、そんなに生活が苦しかったわけじゃないと思う。
でも、可愛い筆箱とか、流行のものがやってきたときは絶対に買ってもらえなかったそうだ。それは、本当に買えない家のお母さんが、欲しがる子供に「ショウコちゃん(←母)は持ってるのかい?」と聞くからなんだって。校長先生の家の子が持っているか持ってないか、他の親の基準になっていたのだそうだ。
それを知ったのはずいぶん後になってからだったそうだけど、そのくらい、気を使ってた時代だったということらしい。
ちなみにそこんち、おじいちゃんが校長先生なら、子供7人、全部先生だった。母も結婚前は高校の先生だったし。でも、その子供たち、いわゆる私の従兄弟たちは15人いるけど、先生はひとりもいない。
むー。父は昭和16年生まれだったから、何か覚えてることがあったかもしれなかったなぁ。聞けばよかった。でも、なんか聞けない雰囲気だったのよね。父にも母にも。ふたりともえらいカッコつけだったので、オモシロおかしい話はあっても、苦労話って聞いたことない。
いわゆる、戦後は経験しているはずだけど、その手のことは聞いたことがないし、戦争で亡くなった人の話も、そういえば聞いたことないなぁ。
なんかね、どこかで、戦争を語り継ぐ人が後継者を育てる、みたいな番組を見て、そうかー、戦争を知っている人がいなくなりつつあるんだなぁと、ふと思ったのでね、それで聞いたんだけど。
* * *
それから母がまー乗ってしまって、聞いてもいないのに初恋の話までしてくれちゃってね。
中学2年のときのバレー部のコーチ、だって。家がすごく厳しかったんだけど、人数が足りなくてどうしても試合に出て欲しいと直談判しにやって来て、練習の送り迎えをすると約束してくれて。
「毎日、単車の後ろに乗ってねぇ・・・」
って、“単車”だってー。くーなんかカッコイイ。
それで、試合の後の慰労会で、そのコーチの横に、オトナのキレイな女の人がぴたーって座ってて、・・・それがコーチの彼女だったらしいのだが、それで「がぁーーん」っていうのだったらしい。
なんか、すごいツンツンすましたいい子ちゃんだったんだろうなって思ってたから、ちょっとビックリした。かれこれ、50年くらい前? すごいなー、それくらい経っても初恋は初恋なんだよねぇ。
そういえば昔、鼻の頭の油をにゅーっと出すのに夢中になってたら、「面白いのはおかあさん、よーく知ってる。でも穴が開くから止めなさい」って言われてウケたなぁ。あ、お母さんもやったんだーって(笑)
* * *
私は昔から母とは折り合いが悪く、このままではいかんなぁと思っていたので、こうやって2人で話が出来たことはすごくうれしかった。
まあ、離れて暮らしているからなんだけどさ。すんごい癖強いからね。3日一緒にいたら絶対ケンカしますから。妹は、仕事する人としてはすごく尊敬するって言うけど、私は尊敬は出来ても、一緒に仕事なんか、絶対出来ない。
でも、こんな日が一生のうちに一日でも持てたこと、ヨシとしよう。
2005年08月22日
この記事へのコメント
ネットで旦那とか長いことバーとかを食事したの。
Posted by BlogPetのリボンちゃん at 2005年08月22日 11:06
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